返信漫画など落書き70

以下のコメント頂きました、有難うございます!

●「…球団創設の話は懐かしいですね〜。
私も最初はライ●ドア支持でした。
理由も漫画と一緒で最初に名乗り上げてくれたからです。
たぶん仙台だけじゃないかもしれないけど、
最初に名乗って意思表示することを大事にする県民性なんでしょうかw…」(宮城)

●「…楽さんも馴染んだことには馴染みましたが「楽天」とは呼ばず、「イーグルス」、または「野村イーグルス」と呼んでました
ちなみに、例のノムさん解任事件を受けて
「だからライブドアがよかったんだ…」と未だに言われてますw
楽天が嫌いなわけじゃないんですけどねぇ 」(宮城)

●「宮城のライブドアねた、もの凄く懐かしく「あー」と呟いてしまいました。確かに言いましたねぇ。だって、先に声をかけてくれたんだもの。経営状況云々より、情が湧くかどうかが大事です。情さえ湧けば、身内扱いになって「おらほの球団」ですけど。一応、東北では情に薄いとか言われがちですが、やっぱり宮城も東北なので、わかりにくいところでは情が判断基準なんです。楽天が負け続けてた頃、あんまりボコボコに言われなかったのも、多分そのせいでしょうか。「また負けた……でも頑張ったよね」みたいな。生温い感じの応援です。まあ、今じゃライブドアのことをすっかり忘れているので、そういう面では確かにドライなのですが。」(宮城)



 







鹿児島と岐阜は姉妹県です。
江戸時代に薩摩藩士が行った、岐阜の木曽三川の治水事業がきっかけです。

以下のコメント頂きました、有難うございますv

●「岐阜の人見知りにて
北陸と岐阜との間には白山山地という2000m級の山脈がありますからね
鉄道も富山ー岐阜、福井ー岐阜しかありませんし、石川ー岐阜をつなぐ道はあってないような山道です。だけど岐阜でも飛騨の方は富山と仲いいですよ。
福井と岐阜をつなぐ越美線は後わずかというところで白山山地を超えられず越美北線と越美南線に分かれています。両線の間には連絡バスでかろうじてつながっている程度です。白山山地の壁は高かった。」

↑●「…「白山スーパー林道はちゃんとした道じゃないんか!(怒)」
ま、冬になったら埋まっちゃうし、前後は1車線ですけどね。
白山麓の住民にとっては、夏のドライブの定番コースです♪…」(石川)

●「こんにちは!岐阜県民です!RESの岐阜さんをみて「岐阜そのままだ!!」と思いました!あとしいて言うなら岐阜地方は長野、北陸は隣の県って感じじゃない、美濃地方は北陸、三重が隣の県っぽくない、飛騨は愛知や三重が・・・
って感じで岐阜でも地域によって人見知りする県が微妙に違うんですよ〜
あ 海なし県なので海の幸が嫌いっていう人が多く、海なし県さんとは全体的に親近感がわきます。 
海行くとかなりはしゃぐんですがね・・・」(岐阜)

●「…岐阜と鹿児島が姉妹県になったきっかけの治水事業は、「宝暦治水工事」のことですね。
・・・(略)・・・
幕府が薩摩藩の力を削ぐため行われた治水事業で、幕府側からさまざまな嫌がらせを受けていたんですから・・・
「薩摩藩士は一箇所に集団で集まることを禁じられ、農家などに分宿させられた。」
「その農家には幕府から事前に、薩摩藩士への食事は「一菜一汁」、「酒・魚は禁止」、「食事代・草鞋代・宿泊代などは全て実費
(相場より高値)での受取等が言い渡されていた。」
「幕府側の役人により指示通り作った箇所が、翌日には違う役人が指示通り作ってないと壊させた。」
「完成した箇所も何者かに幾度と無く破壊された。」
「地元の大工の費用を幕府が負担すると言いながら、結局薩摩に負担させた。」
度重なる嫌がらせや妨害工作に、薩摩藩士も割腹自決で抗議しました。「宝暦治水工事」での薩摩藩士の死亡者85人中、事故死は無く、病死が33名なのに、割腹自決での死亡者が52名というから凄い!
(死亡数の記録は多説あり)
・・・(略)・・・
昭和34年8月の大雨と9月の伊勢湾台風で川が決壊し、周辺地域を50日以上も浸水した時には、地元の人らは薩摩義士の祟りだと噂していたらしいです。
岐阜さんは鹿児島さんには感謝もしているでしょうけど、贖罪の気持ちもあるのかもしれませんね?」

●「…落書き70の岐阜ですが、
人見知りなのはそのとおりだと思いますが、鹿児島がすきなのは美濃人だけだと・・・
飛騨人はあんまり関係ないと思ってます。
飛騨人は、その性格ゆえか県外
(というか飛騨から)に出ません。基本的に。でも美濃はそうでもないかと。だから岐阜県民=美濃人っていう感じになってるんだと思います。
飛騨人は北陸好きですよ!海無し県にとって海釣りは憧れ、年に何回も行きます。
(あーでもほとんど富山だなー)
隣県には基本的人見知りはないです。
飛騨人は、政治にはあまり興味ないです。。。
江戸時代、幕府の直轄地だったとき、三代にわたって悪代官に苦しめられました。
(朝廷とか幕府とか明治政府とか)
そんなわけで、・・・そういうものに関心が無く、ありがたみも無く、何より信頼がない。です。
暮らしがよくなってほしいとは思いますけどね。ちょっと矛盾。」



劇的ビ●ォーアフター、今週の匠は徳川家康さんです。

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