返信漫画など落書き47

東京の「とんこつラーメン」は福岡のものと微妙に違うそうです。

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●「・・・愛媛の海を挟んだお隣さん大分の出身です。鶏に固執するあれ、本当です、でも大分の人間は無意識なので、県外に出た人間だけが気がつくことでもあります(笑)・・・」(大分)

 

1コマ目秋田:「岩手〜」「お米たくさん作ったからあげる〜」
3コマ目秋田:「松茸!松茸ぇ!あらまーっ!もったいないわ!申し訳ないわ!」

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●「…家で前飼っていた犬が山に散歩に行くとよくマツタケを見つけて食べていていました。だから家に持って帰られるのは半分食べかけでした。だから、やっぱり秋田のお米のほうが高いと思います。…」(岩手)

●「…お米の値段をよく知らない宮城県民です
米は買うのではなく作るもの。と考えてしまうんですよね
米を送ってウニや牡蠣が送られてきて家族で恐縮したことがあります。
後日送ってきた親戚と話すとあっちはあっちで高いお米に恐縮してたそうで
キノコのネタを一つ。
実家の食卓には裏山でとれる松茸と養殖しているシイタケが同時に出てくることがあるのですがシイタケのほうがすぐになくなります。この話をするとよく怒られます。言いたいことはわかるんです。いやでもシイタケのほうが絶対おいしいとおもうんです 」(宮城)

●「…高校の時、友人Aは毎日弁当の中身がアワビでした。友人Bは毎朝うに丼かっくらって来てました。友人Cは秋には松茸、春には山菜・たけのこ盛りだくさん。友人Dは宮城が誇る仙台牛、そして牛タン。友人Eは誰より早く新米を食べていました…。
そしてやっぱり、自分が毎日食べているもの=安いorタダ。という感覚の為ありがたみのかけらもなく食べてたりしました。しかし新米だけは別。新米についてはありがたく食べてましたが。
毎朝うに丼食べてた友人Bは「たまには納豆食べたい…卵かけご飯でもいい…」とか言ってましたし、毎日アワビを持ってきていた友人Aはクラスメートに配って、他のおかずと取り替えてもらってました。下手すると朝や夕飯もアワビになることがあるらしいです。
友人Bのウニはさすがに弁当にできなかった為、交換できずにいました。が、イクラ漬けは持ってきてくれて皆で食べました。
(…略…)
アワビを毎日食べていた友人Aの家はアワビ養殖やってたせいで、規格外のとか傷物を家族で消費してただけなんですけどね。かき養殖やってる友人もいました
(牡蠣は広島だけじゃないんですよ!宮城松島の牡蠣だって有名なんですよ!)
ウニを毎日食べていた友人Bはウニより納豆の方が高いと信じていました。事実を知ってかなりショックを受けていました。
畜産農家の友人Dは牛が売られるときにはリアルドナドナだそうです。悲しい…。でも食べます。だって食べないと却って申し訳ないですからねっ。
田舎ってこんなもんですよ。自分の家のものはタダだからいくらでも配る。人から貰うとその価値に驚く。そんなもんです。 」(宮城)

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●「…山口のしたことを忘れないとありましたが、ちゃんとわけがあるんです私のだけかもしれませんが、
あのことを忘れないことがあの時散った彼らへの供養になると、おもっているんです。
今はもう平成だけれど、そう思うのです。」

●「…拍手Res漫画の福島さんに、特に恐怖を抱かなかった福島生まれの静岡県民です。
いえ、本当に”生まれただけ”で特に深い繋がりはないのですが^^;
でも福島さんは、そんな変な事は言っていないと思うのですよね〜・・・だって
アメリカさんが核を日本に落とした事は、怒らず、憎みもせずとも、忘れはしないですからね。
それこそ何百年、何千年経っても、此方が消えない限り、永遠に覚えておきますよ。

それと同じ事じゃないのかな?と。
まあ、そう思われている方からしてみると、怖くて仕方ないと思いますけどね^^;
ダイジョウブダヨー!ナニモシナイヨ〜!(片言)」

●「…実は今回福島の言葉に引っかかりました。私は「『
スカートの風』シリーズ」(韓国女性。といっても今は日本国籍を取得された女性のエッセイ)の中で紹介された。サンフランシスコの日本人牧師様の言葉で「何かを許すってことは、忘れてあげることです。」という科白があるのですが、私もそうでないかなと思います。また、このエッセイでは、それとは対照的に韓国人牧師殿の「許しはします。でも、絶対に忘れてはいけません。」と信者に訴えています。しかし、忘れないままで、果たしてひっかかるものがすべてなくし許せるのでしょうか?…」(福島)

●「うーん…各論あるようですが、個人的に、許すことと忘れることは別のことだと思います。許すっていうのは、覚えたままでその引っかかりごと丸ごと許すってことじゃないんでしょうか。許すことが難しいのは、そういうことだと思うんです。許して忘れることはあっても、許すために忘れることはないんじゃないでしょうか。大切なもののことまで忘れたくないですもの。痛みがあるとしても覚えていたいです。覚えているということを相手に悟らせないことも、許すことの内だとは思いますけれども。
(いやでも「忘れた?」って敢えて聞かれたら「覚えてるよ」って言うしかないんですけどね…)…」(岩手)

●「…長崎
(多分広島も)は、原爆の日を「原爆の被害を忘れず、未来の被爆国を増やさない為の日」として毎年祈ってますが、アメリカを忘れない為の日ではありません。ぶっちゃけアメリカはどうでもよかったり(日本だって開発してたらしいですし)。被害にあった方々でさえ、忘れよう、許そうと努めています。過去ではなく、現実に核を保有し、再びヒロシマ・ナガサキの惨事を生み出しかねない国に対して、怒り、許すまいと行動しているのです。…」(長崎)

●「福島が忘れないのは、郷土の歩んできた道だからです。また、「白河以北ひと山百文」と「東北=辺境」と捨て置かれた、明治以来連綿と続く東北蔑視は100年前の記憶ではないので、忘れようとしても忘れられないのが実情です。そして「福島は・・・」「東北は・・・」「明治維新は・・・」と語られる時に、一方の当事者として、自分の意見を持っていることは必要だと思います。自分から求めて発言はしませんが、必要ならば語るのが「歴史を知る」ということなのだと思います。過去のしがらみを「水に流す」ことと「記憶にとどめておく」のは、並び立つものだと思います」

●「…。「許そう、しかし忘れまい」南アのネルソン・マンデラ氏の言葉だそうです。痛みを伴う過去を持つ者が未来に向かう時、これが最も理性的かつ現実的なスタンスではないでしょうか。


●「…庄内は会津の同志ですから。会津は長州他新政府側に対しては、いついつまでも恨んでても「しょうがねんだろのう・・・」と思ってます。怖ぇ、なんて思いませんとも。
同時に会津に対して申し訳なさ、後ろめたさも感じてしまいます。うちは西郷さんと
(酒田の)本間家を筆頭とするあきんどさん達のおかげで維新後あんましつらい目にはあわずに済みました(明治政府に「70万両払えや」と言われ、上士、地主、商人ががんばってかき集めたけど30万両しか用意できなかった。だけどなぜか西郷さんが口添えして許してくれたので庄内藩は流罪とかされずに済んだ)・・・実際には会津よりも遅い降伏だったのにも関わらずです。
なので庄内人は西郷さんに対しては感謝してますし敬愛もしてます。そして会津には申し訳ない、と思っています・・・
ひょっとしたら西郷さんは会津と庄内をとにかく離したかったのかもなあとも思いますが(^_^;
」(山形)


 


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