忠臣蔵外伝伊予之巻 おまけ


忠臣蔵外伝23にて、
東京→泉岳寺、熊本→日輪寺、愛知→乾徳寺・大林寺、そして愛媛も興聖寺で赤穂浪士のお墓や遺髪塔などがありますが。

山口にはなぜかない。


いや、私が見つけられなかっただけかもしれないのですが…;
(御存知の方、いらっしゃいましたら教えて下さい;;)

赤穂浪士たちの遺言により、主君と同じ泉岳寺に葬られましたが、
●熊本→願い出て許されたので遺髪を貰った(正々堂々)
●愛知→介錯した相手の供養塔を作る、切腹の時に実家in愛知に遺髪を送った浪士の墓を作る、など(クールなようで情に厚い)
●愛媛→幕府からの検使達に見つからないよう、こっそり数人の遺髪をそっと懐に(命令に従いつつも感情で動く)



でも山口にはない。何故だ。



以下のコメント頂きました、有難うございますv
●「…忠臣蔵の話で山口にはなぜか墓がないとの事ですが、あるにはあると思います。ただ一部の人達だけに、あれって赤穂浪士の墓っていう噂なんよー。くらいあやふやに伝わってるんだと・・・。お上が罪人って言ったなら命令には従わなきゃ、みたいな。
山口ってお上には
(相当キレないかぎり)逆らわない気質で、昔攘夷を起こしたんだぞ!と言ってる割に「歴史的な場所の扱いなってないよね。」「あればいい。」みたいな県なので。(ちゃんとしてる地域もありますよ!)
昔はあの奇兵隊の人達の墓も別にすごいと思わず、相当時がたって有名になって「え?あれそんなすごい人らの墓だったの?」というノリで綺麗にされて管理するようになったくらいなんです;
歴史的な場所はあるのに信じられないくらい力を入れない+重要視しないんですよね・・・。
それより道路交通をしっかりさせるほうが大事。
まあ結局お金はすべて藩の維持と貯蓄に使ってたし、今も力の入れどころズレてるんでしょうね。…」

●「…最近聞いたのですが、山口も赤穂浪士の遺髪とかは一応あるらしいです。持ってた本人も驚くあたり熊本のような堂々さを感じません…。
供養墓の存在は分からないそうです。なんでだ山口…。」

●「…赤穂浪士の遺品ですが乃木神社に奉納されているみたいです。
赤穂浪士の扱いについては長府藩は長州藩の支藩ですので、他の3藩と比べると仕方ない面もあるのでは・・・と思いたいです。」

●「…四兄弟を読み返していて、赤穂浪士の所で「山口には赤穂浪士に関する墓などが無い」とあったのでネットで調べたら本当に出てこないんですね(笑)。まぁ山口で赤穂浪士の処刑が行われたのを知らない私が何か言えた事は無いのですが(苦笑)。
気になったので役場に問い合わせたら、

下関市長府にある
乃木神社の宝物館に遺品が収蔵されているようです。
〇長府観光協会
 〒752-0974 山口県下関市長府土居の内町1-6
 TEL:083-241-0595

という返信が来ました。…」



〜おまけ〜

【結構どうでもいいネタ】

実際の切腹は、白色ではなく、浅葱色の着物と縹色の幕が使われたそうです。(白いと赤い血が飛び散ったとき、凄く残酷に見えるので)
そして下は布団。
(終わった後くるくるっと巻いて死体を手早く片付け、しかも血があたりに飛び散らない)
実際は切腹刀ではなく、扇子で形式的な「切腹」がほとんどだったとか。
(だって自分で腹切るのはやっぱり痛い)

しかしながら当サイトで白色っぽかったのは、やっぱり絵的に白の方がしっくりきたからです。

そんな風に今更ながら、適当に史実を織り交ぜながらも都合の悪い情報はなかったことにするとか、話をまとめたりする上で、管理人の恣意的な解釈にしておりますので、ご注意ください。






【頂いた情報など】
お教え下さった皆様、有難うございます!
(以下「」の中は頂いたコメント)

●「実は福岡にも「赤穂浪士」に関係するお寺さんがありまして、なんでか知らんけど・・・。」
福岡姐さんは、赤穂浪士のお話に感動して、地元有志が泉岳寺そっくりのお寺を作ったそうです


●「赤穂浪士切腹の沙汰に関しては、肯定的評価があるんですよね…
 戦国の世からずいぶんとたって平和な世の中を乱す連中はいかなる理由であろうとも許さないという決意を示したことによって、以後、江戸時代の平和な世の中を築く基礎になったという。もし、あの時点であだ討ちが正当化されたならば、江戸時代はもっと血なまぐさい世の中になったであろうという話ですね…」
徳川綱吉の治世は、特に前半は善政として評価が高いです。

●「…広島駅近くの明星院に赤穂浪士の木像が安置されています。
原爆に耐えた明治時代の作品のようです。…(略)…
今やってるかわかりませんが数年前までは幼児たちがちびっこ忠臣蔵をやっていました。」

●「赤穂浪士の供養塔は京都に結構あるそうですー。
夫人のゆかりとか、大石内蔵助の隠棲したところとか。
そういや高野山にもあるそうです。
まぁ高野山になければ、歴史上の有名人とはいえないかもですが、、、。 」

 

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