忠臣蔵外伝伊予之巻8


「楊枝を渡していいですか」
「お箸は短くして使わせるべきですか」
「硯紙なんか欲しがったらあげてもいいですか」
「火事が起きた場合は避難させてあげてもいいですか」
などの質問に対しての江戸さんの答え。

「何分にも存知により次第。能き程に申し付くべき」
(原文は漢文)
(超意訳・適当にやれよ)

しかしこの後も伊予松山藩は、
「病人が出たらお医者さんにみせてあげてもいいですか」云々と、
懲りずに伺書を送りまくってます。
(駄目だと言われたらどうするんだろう)

愛媛県は挫けない。

何故なら冷たくあしらわれていることに気がつかない。


それでも返事をくれる江戸さんは律儀だと思う。

●「…当時の愛媛に対して日本の他国の人(特に江戸周辺の人達)はミカン頭と称する発想は浮かばないと思います。当時の江戸では毎年鍛冶屋の神様を祝う「ふいご祭り」が行われており、鍛冶屋の屋根からミカンをばら撒いて地域の人に振舞う風習があったのですが、嵐がよく発生し当時断一の最大の蜜柑の産地だった紀州有田から船がやって来ず価格が高騰していました。紀伊國屋文左衛門が20代の頃(1690年頃?)、紀州は驚くほどミカンが大豊作で、また、江戸では高騰していることもあり文左衛門はそれに目をつけ商売に利用し、紀州のミカンは、ミカンが不足していた江戸で高く売れ、嵐を乗り越えて江戸の人たちの為に頑張ってやって来たと、江戸っ子の人気者になったと言われています。そもそも愛媛や静岡でミカンの栽培が本格化したのは明治以降ですし…。
というコメント頂きました。
…すいませんでしたー!!!;

 

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