忠臣蔵外伝伊予之巻9

 

その頃他藩は。

熊本さん、もてなし過ぎだ。

糖尿病等を多発した赤穂浪士から「普通のご飯を食べさせてくれ」と本気で懇願されたらしい。

しかしながら、熊本さんは四家の中で最も赤穂浪士を手厚くもてなしたのは間違いないです。
いい部屋を与えて御馳走三昧、酒も煙草も菓子もお茶も出す。
江戸さんに助命嘆願するのは当然
(これは結局他の藩もやりましたが)
神社に助命祈願したり、しかもその間熊本さん本人は精進料理で通したり。
「無罪放免になった暁には、赤穂浪士は全員うちの藩で引き取る!」とも宣言しました。



さて、熊本さん。

勿論肥後もっこす。現在でも尚武の国。
頑固で信念を通すが、協調性に欠けたり融通が利かなかったりする。
雄大な阿蘇のカルデラ、堅固な石垣が自慢の熊本城、
日本三大急流のひとつ球磨川と性格が表れてます。



一方長府藩(現・山口県)は彼らを罪人として厳しく扱いました。
特に、窓や戸には板を打ち付けたのは江戸市民の評判も悪かった。
(外から一目瞭然ですしね)

そのうち他の家の対応を聞いて、扱いは軟化したらしいです。



三河国岡崎藩の対応はまあ普通。

が、この方は「現・愛知県」ですので、、
吉良上野介の地元・吉良町も入っており…微妙。
この事件において吉良上野介は悪人とされがちなのですが、
吉良町では今でも名君と慕われているそうです。

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