返信漫画など落書き12


●「…京都と神戸は仲良いんですけどね。京都は歴史の浅い神戸に目くじらを立てる必要性を感じず、神戸も自分と被るところのない京都をひなびた観光地として愛好しているので。
お互い「京都
(神戸)はええとこやね、住みたいとは思わんけど」と思ってる関係です。
ついでに言うと京都人は所謂異人さん
(オランダ、イギリス、フランス等)辺りの格式高いものは結構好きですから神戸は便利なんです。但しそれ以外、特にアメリカのような若造は相手にされません。「お金落としてくれるから優しくしたげる。でも入ってこんといて」と言っていました。」
という大阪の方からのコメントより。有難うございます!

●「…母
(バリバリの神戸っ子)曰く、神戸にとって京都さんは景色が最高なんだそうです。同じ秋の風景でも金閣寺とともに見る風景は趣があって良いのだとか。歴史も憧れますが神戸は美しい街が自慢なので、その辺が京都さんに魅かれて止まない理由なのではないかと。…」

●「…例外的に近畿内では京都と仲の良い神戸の人達に、仲良いよねと言ってみると「京都はウチらのこと歴史ないから相手にしてへんだけやん」冷静に判断していました。更に「京都が大阪のこと悪く言うけど、あれが京都のあかんとこ」
(って神戸人も大阪と一緒くたにされそうになれば大阪攻撃に転じますが。大阪はけなしていいポジションなので)「京都人は洋服になった途端野暮ったい」「京都なんて歴史除いたらただの田舎」しかし神戸人は京都人に直接は言わないので、京都と神戸は仲良しです。
京都になんやかんや言われた大阪がやんやん言って反論しているのを、あーあーと思いながら見ているのが神戸人です。私の周りは大体そうです。そして大阪人的には全部ネタですが、京都人はそう言うことはねちっこく覚えています。ので後が怖い。…」

●「京都在住者です、いつも楽しく読ませていただいてます。
今更ですが「京都ではアメリカ人は相手にされない」ネタで少しコメントさせて下さいませ。
「あまり来て欲しくない」と思うのは歴史が浅い若造だからではなく、失礼な旅行者が歴史の浅い地域からいらっしゃった方に多いからです。観光客が多い地方だと必然的に色んな国の人を目にする機会が多く、多少各国の旅行者の傾向が分かってきます。
フランスやイタリアの方ならまず日本語で一言話しかけた後に下手糞でも分かり易い英語で道を尋ねるなりされる方が多いのですが、アメリカの白い人は
(全員じゃないでしょうけれど)いきなり「分かれ!」という風に英語で話しかけてくるので正直イラッときます。神社や寺の境内でタバコを吸う人や土足で上ろうとする人もいて結構ひどいです。電車でも五月蝿く喋ったり、一度英語で「どいて!」らしきことを言われたあと10cmくらいしかない隙間に大きな体を捻じ込んで来た時は驚きました(大阪のおばちゃんなら愛嬌で許せるのに)
歴史が浅いから相手にしないのではなく、歴史が浅いゆえ旅行先の伝統に敬意を払えない人が多過ぎるから、あまり来て欲しくないと思ってしまうのではないでしょうか。」



などのコメントも頂きました、有難うございますv

 


↑京都様の台詞は、ほとんど頂いたコメントからそのまま使わせて頂きました。有難うございます。

「あと大阪にも都はありましたよ〜。確か二回くらい。難波長柄豊崎宮(前期と後期があります)って名前だったかと。勿論京都さんより前です。(笑) 」というコメントいただきました。
突っ込みをありがとうございます!!!





1968年と1987年、山口県萩市が福島県会津若松市に「過去のこと(戊辰戦争)は水に流して友好都市になろう」と申し出をしたところ二回とも拒絶されたそうです。
…山口は仲直りしたいらしい(涙)。

※戊辰戦争…1868年〜長州藩(後の山口県の一部)・官軍 VS 会津藩(後の福島県の一部)・幕府軍

とある会津若松の市長は萩市との和解に前向きな発言をしただけで次の選挙で落選したとか、山口出身者が自民党総裁である時期は福島では自民党は勝てない(例・元安倍首相の時期の知事選や参議院議員補欠選挙)とか、…歴史は単なる教科書上の文字ではなく、現在まで連綿と続く過去なのだなぁと思わせられます。


以下のコメントいただきました、ありがとうございます!

【山口県より】
●「山口県人です。福島に旅行に行く時は素性を明かしません。空気が一気に冷却し、待遇が残念なことになるからです。古い旅館とか特に。


「…萩と福島の事ですが、高校の時外部の方の講演でお伺いしました。山口県民だと知られると、特にお年寄りは、いい顔をされないとのことでした。歴史と感覚が残っているんだなーっと感心しました。萩は維新の街って宣伝していますが、近いからかそんな感覚全然なかったですね。会津若松に観光に行くのがちょっと怖いとも思いましたが…。…」

●「…山口県民は、一部をのぞけば別に全然意識してないんですけどね(汗)…(略)…やはりあちらではまだ気にしてらっしゃる方が多いんでしょうね。私の中学時代旅行好きな先生がいたのですが、福島の食堂で山口県民だと言うと「長州人に食わせるメシはない!」と言われたそうですし。…」

●「…ある先生から聞いた話なのですが福島のほうに行ったある友人が福島のタクシーの運転手にどこの県から来たのか聞かれたそうなんです。山口から来たのだと言ったら、怒ってタクシーから降ろされたそうです。仲良くは・・・してくれないんですね。私、福島嫌いじゃないんです。片思いですかね。 …」

●「…山口は福島を特別敵対視してないし仲直りしたいんです〜(涙)でも被害者?である福島さんからしたら、そんなにあっさり許せないんでしょうけど、切ないなぁ…。私の叔父が福島に転勤になった時に「山口出身である事は隠しておいた方がいい」と親族から忠告を受けてました。実際彼の地では山口の話題を聞くだけで顔をしかめるおじいさんもいらっしゃったそうです。
ちなみに山口県民は最終的に同盟を組んだものの、蛤御門の恨みは忘れていません(笑)他人の事言えないですね。」

●「…日本人の判官贔屓気質のせいで、長州は完全に悪者になっていますが、あそこで長州が動かなければ今の日本はないことも分かっていただきたいです・・・。
確かにひどい処罰はしましたが、それは戦争に参加した人たちだけに対してであって、領民には危害は加えていないはずです。
最も話題に上る白虎隊の悲劇も、長州が直接手を下したわけではありませんし・・・。
っていうか、それを言うなら、会津だって長州に必要のない奇襲をしかけてきたじゃないか!
ひどいことをしたとは思うので謝りたいとは思いますが、そんなに毛嫌いしなくても・・・とも思います。
最近でも、旅館などで山口県民だとばれると、待遇が悪くなったりするらしいです(泣)


●「…
山口県にとっては江戸時代以前を含め幕府から与えられた被害は甚大でした。所領を中国五県から防長二カ国(現在の山口県のみ)に減らされた毛利氏はその家臣団に大変な苦労を与え、江戸時代を通じて財政改革を重ね、大変な財政難から結果として倒幕の資金を作りだしました。江戸時代になって所領を得た幕府に連なる親族を祖とする藩の所領はどこからきたのでしょう?そしてその所領を幕府が得た際の手段はなんだったのでしょう?
反対に江戸時代を通じて幕府方であった福島のみなさんがどうだったのかははずかしながら存じ上げませんが、幕末期に山口県出身の方々が多く幕府に粛清されたことは福島の方は気にされないのでしょうか。
禁門の変の際、たしか薩摩藩と会津藩が山口県と戦ったはずだし、長州藩士を多く殺めた新撰組は会津の管轄です。
福島の人の中には山口県の人間を悪の権化のようにおっしゃる人もいらっしゃいますが、福島県の方々は歴史的に山口県に対して何もしたことがないというのだろうか、とつらい気持ちになります。
「会津士魂」などで有名な早乙女氏の著作などを見れば、山口県の人間であればだれでも誹謗しているのではないか、と思うほどひどい記述が見つかります。それはどうなのでしょう。仮にそれが福島の方の総意でなかったにしても、それをそのままにして山口の人を責める福島の方に対して、悲しく思っています。
少なくともあの時代に一方的な加害者なんていないと私は思います。
江戸時代初期に幕府だってひどいことを多数している、幕末で言うなら、なぜ福島の方は薩摩にはふれられないのでしょう?官軍は山口だけでしょうか?
少なくとも自分が受けた被害だけで判断するのはフェアではないと思います。
私は福島に悪感情を持っていないし、今まで悪く言われても、そういう意見もある、と思ってやり過ごしてきましたが、本当の意味で山口と福島が和解するためには双方の歩んできた歴史と、なぜあのような結果になってしまったかを客観的に判断しなければならないのではないか、と思っています。…」


【福島県より】
「…「100年も前のことで、いつまでも喧嘩しているのは・・・」と、萩市が仲直りを申し出た時も「100年?アラブイスラエルは1万年だ。」と拒否しました。その時の新聞記事の題も「アラブイスラエルは1万年」でした。でも、大丈夫ですよ。萩市並びに山口の皆様、何もしなければ、特に自分たちから何かをするような人間じゃあないですから。会津の人間と山口の人間が結婚して、会津に入るとか、山口の企業が会津に入るとかしなければ・・・結婚はシャレにならない騒ぎが起こるとか、むか〜し、聞いたことがあります。今は、どうでしょう?(注:私は会津人ではありませんが福島県民です。)

●「福島の笑顔で「だが断る!」に爆笑させていただいた会津人です。本気で言いそうだなぁと納得してしまいました。ちなみに、会津「白虎隊」が全国的に有名ですが、福島には二本松に「二本松少年隊」と言う部隊があり、同じく戊辰戦争を戦ったのですが、こちらは白虎隊よりも更に幼く、12歳から17歳の少年達の集まりでした。こちらも戊辰戦争を戦い、多くの幼子達が亡くなってます。二本松の人に言わせると「会津の白虎隊より悲惨な最期を遂げてるのに、会津みたいに口が上手く無いから二本松少年隊はなかなか知られない」とおっしゃります。私、この台詞・・・小学校6年のおり、二本松出身の担任に言われました。敵意を感じましたのことよ(笑)まぁ、戊辰戦争は未だ福島県民の心に突き刺さってる良い例だと思われます。


●「会津人は、戊辰戦争のことを恨んでいるわけではありません。戊辰戦争後からずっと政府に<朝敵>として有形無形の嫌がらせを受けたので、政府を牛耳っていた「山形有朋」=<長州人>が嫌いになったのです。負けたことで勝った相手を恨むような人間は、日本にはまずいないと思います。会津や東北がつい最近まで(現在進行形の部分もある)政府に受けていた仕打ちを考えると、一概に「昔のこと」と流せないのは事実です。私は滋賀出身の福島県民ですが、会津と山口では、この件に関しての温度差がありすぎるので、そっとしておくのが一番だと思います。明治政府の光の恩恵を受けた山口とその闇に苦しんだ会津とでは、どちらの歴史を是とすることも不可能だと思います。

●「…福島県民というと、「100年も前の事までしつこい」や「執念深い」とかよく言われるんですが、私たちは〈人命が一番大切〉と考えてます。そして、かなり仲間意識が強いです。だから、たとえしつこいと言われても、いわば仲間を奪った者達と考え、許さないんです。戦争中は仕方がないとしてもその後長くに渡って私たちは虐げられてきました。主君や自らの誇りを共に守ったもの達を殺し苦しめたという事が許せないんです。
私達の思いは戦争の時のものだけではないのです。
福島県民は、恨みも忘れませんが受けた恩も絶対に忘れません。どんなことがあろうと恩を仇で返す真似は絶対にしませんし、一度信用した者は絶対に裏切りません。…」

●「福島が山形or米沢に厳しいというのは、私は福島県民ですが、全然知りません。特に何もないと思いますよ?よくでてきますが、福島県民にとっての「先の戦争」とは、間違いなくwww2です。「戊辰戦争」と答える人は、まずいないと思います。…(略)…
およそ、一般の福島県民は「戊辰戦争」についてのカルトな知識は持ち合わせていません。…(略)…むしろ、他県の幕末に詳しい人に「ああでしょう、こうでしょう」と聞かれて、困惑する事が多いのです。…(略)…だから、基本的に、地域によって好き嫌いはありません。
ただ、出会った人によって、その地域の印象を決めてしまうことはあるかもしれません。私の兄は、かつて大学生の時に山口出身の子を自宅に泊めた時、こっそりと山口に電話をかけられ、その月に2万円近くの電話代を払うはめになり「やっぱり長州の奴は信用できない」と憤慨していました。
(もちろん「お前はどこの会津人だ」とつっこみましたが)

●「…会津の民家で薩摩琵琶を聴く催しが行われたのですが、楽器の名前に『薩摩』とついている、というだけで地元のお年寄りが険悪なムードになったそうです(苦笑)。しかしいざ演奏してみたら、一転して涙ながらに「許す!」と肩を叩かれたとか。きっと演奏も曲目もすばらしかったのだろうなと思いますが、結局は人と人との間の問題、個人レベルで少しずつ解決していくような気がします。…」

●「…福島県の人間には「山口って、どこにある県だっけ?」がせいぜいで、意識の端にのぼっているかどうかもアヤシイです。
白虎隊がどうのこうのという意見もありましたが、彼らの死因は「自害」であって、戊辰戦争で戦ったわけではないのは、周知の事実です。それについての誤解は、たぶん最近のテレビドラマの脚本のせいだと思います。「白虎隊」のドラマを福島県民が喜んで観ているかというと、それも誤解です。同じ福島県民でも二本松市の人は「二本松少年隊は戦って死んだのに、戦いもしない白虎隊が褒め称えられるのは、間違っている」「と少なからず思っています。
白虎隊の一番の悲劇は、一人生き残った隊士に降りかかりました。彼は「一人だけ生き残った」ということで、その後、死ぬまで会津の土を踏むことはありませんでした。けれども、彼が生き残って話を伝えたからこそ、現在の観光地「会津」が成り立っているとも言えるのです。
だから、福島県民は「会津」や「戊辰戦争」や「白虎隊」に関しては、かなり冷めた見方をしています。
会津の心情は分かりますし、東北が中央政府から無視され続けてきたのは、確かにその通りなので、「和解はできない」と会津が言うのを無理やり仲良くなれとは言いませんが、一方的に「長州が悪い」と言い募ることもしません。それで観光を成り立たせている「会津」に、相手を一方的に悪く言う資格はないからです。それを知っているからこそ「和解はしないけれど、文句も言わない」態度なのです。
山口出身だと知られると、待遇が悪くなる云々については、申し訳ないと言うほかはありません。商売をしている側が、そこは抑えるべきだと思います。
「会津士魂」の描写が気になる場合は、作者の早乙女さんに、その個所を指摘したほうがよいと思います。歴史ものと銘打っても、しょせんは、作家が書くフィクションです。描写の責任は作家に帰結するもので、地元民には何の関係もありません。たとえ、作家が「伝え聞くところによると」等の「伝聞」の形をとろうとも、です。そして、口直しに司馬遼太郎さんの本を読まれるのがいいと思います。」

●「…薩摩藩がその後の「政権闘争」に敗れた形になった
(西南戦争で西郷隆盛さんが死亡→長州は、維新を起こした仲間もあっさりと殺せるのか・・・!)のが原因の一つだと思います。
 あとは「あそこで長州がたたなければ、今の日本はなかったことをわかってもらいたい」という言い方に全てが集約されていると思います。「江戸幕府に味方をしたところは、野蛮で無知な人間ばっかりだ」みたいな考え方は、こちらから見れば、ひどく傲慢です。戊辰戦争に味方した地域の人間も、きちんと日本の歴史は学習しています。「明治維新の重要性を理解していないから、長州を嫌っているんだろう」のように、こちらに原因を求めるのは「東北は教化されるべき存在。自分たちは文明的存在。」という自文化中心の考え方から山口の方が抜け出ていないからだと思います。その「東北蔑視」という概念が、明治政府の長州閥によって作られたものなのだということを、山口の方が理解しない限り、形としての「和解」はありえても、お互いを「理解」しあうのは難しいと思います。…」

●「福島=山口が嫌いみたいになっていますが、地域差がかなりあるのです。会津地方はやはり限りなくご想像の通りだったりしますが
(未だに会津若松市には河豚店がない等。あ、でも他の市にはありますよ)、奥羽山脈から太平洋側地域はすぐに官軍に降伏した地域が多いのであまりそういう意識がないんです。ですから、山口の方が福島で?、等と聞くと、「あー、会津なら仕方ないかもね?」といった感じになります。でも、一般的に学校で歴史の先生が会津地方出身だと間違いなく戊辰戦争についてかなり熱心に教えてくれるとおもいます(笑)。」

●「福島県の商都・郡山市にある金透
(きんとう)小学校は、たぶん県内の公立小学校随一の「坊ちゃん・嬢ちゃん学校」ですが、ここの小学校の自慢は「明治天皇に随行していた木戸孝允が命名し、その字を書き残していった「校名」です。
明治以前の郡山と言えば「安積原野
(あさかげんや)」と呼ばれ、狸や狐ばかりがすんでいる荒れ地でした。職を失った士族対策として、この原野の開墾が明治政府の後押しで行われ、成功を収めた結果が、商都・郡山市の誕生でした。だから、福島県民が明治政府や長州を「何が何でも嫌い」と思っているわけではありません。た好きか嫌いかというアンケートをとられたら、ネタ的にどっちの答えを求められているか空気を読んで答えるとは思います。

●「…会津藩主松平容保公が京都守護職だったこともあり、会津藩や新撰組などはあの時期「京都及び御所の安全を守っていた」のです。今の時代から見て「幕末」と言いますが、あの時期は、まだ「江戸幕府」は健在で、その法律に照らし合わせれば、取り締まられた人々は、今の時代風にいえば「テロリスト」なのです。目的のためには手段を選ばない危険な人々をとらえて罰するのは、当時の幕臣としては、当然の務めだと思います。それを「粛清」と感じるのは「明治政府」が自分たちのしてことを肯定するために「江戸時代はとんでもない時代だった。自分たちこそが正しい。」という教育を行った結果だと思います。
明治政府の制裁が厳しい云々以前に、こうした「幕軍は悪の秘密結社、官軍は正義のヒーロー」のような相手を悪しざまにとらえている感覚が、嫌だなあと思います。」

●「…江戸時代を通して長州が辛い思いをしていたのも
(知識としてはですが)知っているつもりです。
会津だけが辛い思いをしているとか、貧乏くじを引いたとか言うのはおこがましい限りですし、たとえ辛い思いをしていたとしても自分たちが選んだ結果ですから、それを忘れて長州人を恨んだり、冷たい態度を取るのも間違っていると思います。
ただ、なかったことにはできません。
許す許さないではなく、たとえ勝機がなくとも忠義を尽くすべき幕府のためにと戦った幕末の人に対する敬意と親愛はその事実を忘れないことで表しているのですよ。…(略)…まあ、良くも悪くも地元愛が強いのが会津人です。出身県を聞かれて、返す答えが
「(福島県の)会津です」ですから(笑)

【その他の地域より】
●「…「〜福島に旅行に行く時は素性を〜」の事が興味深かったので母に話したら
「そりゃそうよ、福島で薩摩県人であることをいったらそうなるわよ」
ともっと広い範囲を嫌われているような事を言っていました
長野県民も長州を嫌っているそうです。
明治維新のとき長野を追い出して九州が入っていたから。
時々新聞なんかにも未だに
私の父は死ぬまで長州を憎んで死にました」と
いう記事が「声」の欄に載っていたそうです。…」
(神奈川)

●「福島は山形
(米沢だけかな 涙)にも厳しいですよ。戊辰戦争のつけですかね。でも関が原以前の上杉は会津だし、来年NHK大河で放送される天地人(直江兼続)も上杉が米沢に減移封される前のことなので現福島が舞台だったような・・。仲良くしたいんですけどね。
私が中学のときに先生から聞いた話ではたいやき売ってくれなかったそうな。
でも福島も戊辰戦争時には年貢を免除するからというお触れを信じて武士たちに手を貸さなかったくせに今更なに言ってるんだか。と、思いましたね。」
(山形)

●「…思うに山口は福島のことを「百年前のことを〜」とは非難できないと思います。
関ヶ原の合戦にて、西軍大将に毛利が押し上げられた為に、のちかなり厳封されて萩に押し込められてます。その恨みを忘れず、毎年正月の挨拶
(毛利家当主の)では「今年こそ徳川を討てるか」「それにはまだ早い」というような会話をしていたくらいですから。250年間もこんな定例会話を続けてたのも、相当だと思います(笑)…」(福岡)

 

↑「東京にも田舎がある」というコメントより。



↓「佐賀県では『自称ギャル』も11時には家に帰って寝てる」というコメントより


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