以下のコメントいただきました、ありがとうございます。 ●「…三重さんが真珠推しなのは、
世界的「真珠王」の御木本幸吉(翁)のお膝元として当然かと。
(多分、愛知さんあたりも、このことには言及してくると思いますが)
しかし長野さんよ、ブランドイメージを確立している丹波さんの方が
産業的に一枚上手ですぜ。
ある意味、地元民は冷凍庫でもて余している食材で稼いでるってことだし。
(品質的に同列にしてはいけない物だとおもいますがね)
後、長野県民貴族ばかりではないですが、「香り松茸…」は事実。
旨味成分の多い「食べて美味いキノコ」は他にあるんだから、
松茸は譲っておきなさい。(なんか、偉そうですみません)…」(長野)
●「…三重「生産量多少少なくても、知名度あるもん!」
愛知「ほいじゃあ、これから天むすは名古屋めしって事でええだらあ?」
そして叩きのめされたり首を絞められたりする愛知。
あの「キーッキーッ」の中にこのワンシーンは絶対あるはずです(笑)…」(愛知)
●「三重のミキモトさんが有名なのは、世界で始めて真珠養殖の技術を確立させて、現在の真珠養殖のスタイルを作ったからで、生産量が問題なのではないのですよね。(^^) 真珠は、貝の中に異物が混入した際、貝が自分を守るために異物を梱包してできるものですが……さすがに、単に異物が混入したというだけでは、貝の外に吐き出そうとするので、貝の中に留まらせておくのには吐き出させないための技術が必要なのだそうです。
」
●「三重の養殖真珠は明治から。愛媛は戦後の高度成長あたりからでしょ〜。いくら生産量が多くても世界のミキモトにはブランド力で負けてるし。」
●「…真珠の養殖の技術確立されたのは三重県でですよ〜、と、
更なる火種を放り込んでみる。
三重県は、真珠の里ですからねぇ。
なにせ、『真珠島』って言う真珠のいろいろを集めた博物館みたいな場所がありますから。
(小学校の修学旅行が伊勢志摩で、ここに行った)
展示物は、結構面白かったですね。世界一大きな真珠とか飾ってたり、海女さんによる素潜りの実演があったりで。」(大阪)
●「(ここで、神戸人としてはコッソリと『真珠の生産はともかく、真珠の加工は神戸が発祥で今でもアクセサリーの生産量はトップクラスですよー』とつぶやくべきなのかどうなのか、ものっそい悩む……)」(兵庫)
●「養殖真珠ができた当時(昭和3年頃)は真珠はまだまだ日本国内市場では高級すぎ普及しませんでした。 その為作られた真珠のほとんどは神戸港からヨーロッパ、アメリカへと輸出されました。 養殖真珠によって欧米の真珠の需要は一気にひろがりました。
真珠輸出の増加により、三重県、四国、九州などの真珠養殖場から地理的に一番近い国際貿易港の神戸港に自然と日本中の真珠が集まるようになりました。
その為、選別・穴あけ・連組みなどの真珠加工業者が神戸北野町付近を中心に発展しました。北野町付近は真珠選別に適した北光線を六甲山をバックに安定して得られました。
順調に発展した神戸の真珠産業も第二次世界大戦中は世界市場から孤立し厳しい状態を余儀なくされました。
戦後海外への輸出が再開された真珠は政府間貿易という管理貿易体制のもとに外貨獲得の重要な役割をはたしました。
昭和24年以降民間貿易が再開されてからは、駐留軍やその家族がアメリカに持ち帰る日本のお土産としての真珠が良い宣伝となり、真珠の輸出はいっそう盛んになりました。
このように現在では日本の真珠の加工・流通の約80%を神戸で取り扱っており、神戸は世界一の真珠の街となったのです。イースターやクリスマスなどの海外の休日前は多くの海外のバイヤーさんが神戸を訪れます。
阪神淡路大震災の時被災し、一時市外へ避難した企業もありましたが、ほぼ100%神戸に戻ってきました。」
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