朝敵伊予松山藩征伐日誌64

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以下のコメントいただきました、有難うございます!

●「…久々に征伐日誌見返してまして「みんな、誤解せんで〜(泣)」なとこがありましたので蛇足説明させてください。
日誌64で朝廷に会津派公卿がいなかったという箇所ですが、なにも金に汚かった訳ではなく、朝廷は基本的にアンチ幕府なんです!朝廷はアンチ幕府です!
(重要事項につき二度言い)
なぜなら、鎌倉幕府も室町幕府も信長すらできなかった
(秀吉はできなくて当たり前)『朝廷封じ込め』を家康がしでかしたからです。以来、朝廷ではその遺恨が脈々と受け継がれていたものと思われるのです。徳川慶喜だって鷹司家と親戚だったのに結果はああでしたからね…。
そして京都の町衆は言うまでもなく御所絶対リスペクト。で、当然アンチ幕府。佐幕派の人間が疎まれ勤皇派の人間が歓迎されたのにはそういう心情もあったからと思います。
…なので、会津に味方がいなかったのは、会津があくまで『幕府の手下』だったからに他ならないと思います。もし仮に賄賂を贈ったとしてもあまり効果はなかったでしょう。
→結論:「会津さんが悪いんやないんよ、江戸幕府が悪いんよ!!」 」(京都)

●「…今更なツッコミですが、「朝敵伊予松山藩征伐日誌64」での会津派公卿がひとりもいなかったとの事ですが、中川宮
(朝廷のNO2位の方)やら二条さんは会津派公卿といっていいと思います。会津派だった為に後で失脚しちゃうんですけど。」



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