なんとなく、播磨の人ってこういうアイディアが強い気がする。この内容は、「佐用町防災に強い地域づくり推進協議会」様からネタを頂いて描きました。
メールを頂き、ありがとうございました♪
以下のコメント頂きました、有難うございます!
●「救援物資に潰される…同じ兵庫内で但馬でも2004年にありました。コウノトリ但馬空港に毛布などが溢れ、洪水で混乱する市内には上手く行き渡らず…好意は本当にありがたいんですけどね!…」(兵庫但馬)
●「…災害当時、救援物資もさることながら、ボランティアの方々もたくさん来ていただき、道路が大渋滞でした。なにせ超田舎の佐用に、普段の10倍以上の車が流入しましたので。
で、それを捌き、的確に人員を配置するノウハウを神戸から来られた支援者の方に教えてもらったとか。
また町内のボランティアの拠点にキャンピングカーで訪れて、1か月以上泊まり込み&自炊でボランティアを行っておられた方もいましたよ。…」(兵庫佐用町)
●「…何かあった時処理しきれないほどの救援物資を速攻で送るのは、やはり日本人ですよね。
海外だと救護・救援の発想どころか、いきなり略奪が始まるという話を聞きました。
きっと災害時に自動販売機から無料でがしがしジュースが出てくるのはうちの国ぐらいですよね。…」
●「…ぼうさい市で思い出すのは新潟中越地震の時の『SOSメシタノム』ですね。
その結果、凡そ300人程度が避難してるところへ1万人単位分くらいのおにぎりやらミネラルウォーターやらが集中し、結局食べ切れなかったとかw
救援物資よりも義捐金が一番良い理由です!と言い切られて呆気にとられてたリポーターがいましたね。」
●「…ふと、阪神大震災の際に取材に訪れた海外の記者さんたちが驚いたのは、これほど甚大な災害だったにもかかわらず、略奪や暴動など起きず、支給される救援物資を奪い合いもせずに整然と並んで待ち、誰が言うでもなくお互いに助け合い、はては遠くからわざわざやってきてくれたお客さんだからと自分に配られた食料を彼らに差し出そうとした被災者達の姿だったそうですが、これぞ『和』の精神だと感嘆することしきりだったということを思い出しました。あと、確か、この精神が世界中の人々にあれば、あらゆる争いごとがなくなるだろうといった趣旨の記事もあったような気もします。
災害はおこらないにこしたことはありませんが、この朝市が少しでも防災意識の高まりに繋がればと願います。…」
●「…その昔「奥尻島」で起きた津波を思い出しました。あの時は、確か真冬前ということで、津波で家が流された映像が繰り返し放送されたこともあり、義捐金&救援物資が全国から文字通り「山のように」届きました。「離島で不便」「北国なのに、家もなくて冬を越すなんて」と、わが身に置き換えたら、いてもたってもいられなくなったのでしょう。もちろん奥尻島民の人たちは、素早い援助に大喜びでしたが、その後も援助物資は届き、ついに自治体が音をあげました。支援物資を置くところもなくなってしまい「せっかくの好意をむにするよりは」と、その後に起こった別の天災による被災地に物資を回したそうです。日本人は人情をなくしてしまった、などとよく言われますが、災害時でのこうした行動を見ると、まだまだ捨てたものでもないなあ、と思います。」
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